の浴衣は、夏の匂いがした。






夏の香り






駅の前に立つ人は時計を見ている人ばかり。
きっとこの中のほとんどがカップルで、相手を待っているんだろう。
例に漏れず自分もだけれど。

「宍戸!」

大きな声に気付いて振り向けば。

「おぉ…。…浴衣?」
「可愛いでしょ?」

正直、可愛いなんてもんじゃなかった。
なんだよ、まさかこんなに変わると思わないだろ。

よく考えると、学校帰りの放課後デート位しかしない俺らは、私服で会うのが初めてだった。

「なぁーにボーっとしてんのよ。何、見取れちゃった?あまりにあたしが可愛いもんで。」
「ばぁーか。そんな事言えた柄かよ。」
「もー。素直じゃないなぁ、宍戸は。」

素直じゃない、のは知ってる。
もともとなんだよ。

「にしてもさぁ、人多いねー。」
「まあ、祭だからな。」
「久しぶりかも、お祭りなんて。小学校の時は隣の町内会のとかまで行ってたけど。」

そう言って笑う顔はすごく嬉しそうで、楽しそうで。
それが、祭のせいよりも、俺がいるからだって思いたかった。

間もなく、屋台の匂いや人の声が近付いて、まわりは本当にカップルだらけになった。
行き交う人が多くて、離れないように手を繋ぐ。
上手く差し出せてただろうか、俺の左手。
震えないで、汗かかないでくれ、俺の左手。



「ね、宍戸。ちょっと休まない?」
「あぁ?」

見ると、辛そうな顔を少し隠すように笑った。

「どうかしたのか?」
「慣れないことするもんじゃないね。」

苦笑い気味で自分の足元を指差した。
あぁ、靴擦れか。

「お前、もうちょっと歩けるか?」
「うん、大丈夫。」
「来い。」

繋いだ手を引っ張る。
さっきより強く握った。


「座ってろ。」

そういうと、古めのベンチに座らせて隅のほうにある屋台で缶ジュースを2本買った。

「ほらよ。」
「お、ありがと。」

いつも見せないような顔で笑うから、一瞬戸惑ってしまった。

の足の擦れてた部分にはもう絆創膏が貼られている。

「大丈夫なのかよ、その足。」
「平気。ただの靴擦れだから。ゴメン。」
「いや、別にいいけど。」


しばし流れる沈黙。

いつもは俺が喋れないくらい喋るのに。
今日は浴衣に合わせてるのかなんだか知らないが、全くといっていいほど無口だ。
なんか喋れよ、と思って顔を見たら、少しうつむき加減で。

可愛いっていうよりは、綺麗な。
そんな顔立ちだった。

よく見ていたら、うなじに汗が垂れて、髪の毛がぺたりとついていた。
おでこの辺りからも、1すじの汗の跡。

伏せられた目に、長いまつげ。(多分、マスカラってやつをしてるんだろう。)

なんだか、そんな姿を見ていたら。

なんかこう、湧き上がる、感じの。



。」
「んー?」




沈黙。
俺が作った。
は喋りたくたって喋れない。
俺がそれを阻止してるから。
俺の口で。


「ん、ごめん。」

なんとなく謝ったけれど、からの返事は返ってこない。

口を離しても、沈黙は続いたまま。

嫌だったか?


「帰るか。」

声の返事はなくて。
ただ1度だけこくりと頭を縦に振った。


もう1度手を差し出したら、ぎゅっと握ってくれた。

少しだけ安心。



結局帰り道は何も喋らず、駅がもう目の前。

別れ際に、「楽しかったよ」位は、言ってくれるだろうか。

さっきのは、やっぱりしなかったほうが良かったのか。



「着いたぞ。」


そう言うと、うつむいていた顔を上げて。
するり。
するり、と、俺の手を抜けた手。

なんだか離したくなくて、もう1度握ろうと手を伸ばしたら。



くるり、と俺のほうを見た。




「今日の、嬉しかったよ。」



紅くなった顔でそう言って、改札に向かった。



「今日は、楽しかったよ。」じゃなくて、
「今日の、嬉しかったよ。」ねぇ。


ふぅーん。


ニヤけそうな顔をなんとかおさえて家路に着く。



あの時。
あの時に、の浴衣の匂いがして。
懐かしくて、優しくて、でも初めての、香りだった。



上を向いたら、月が綺麗だった。